そうそう、私は前から安倍さんと吉澤って結構近いところがあると思ってるんですけどね。
あくまで個人的にですが、ハローの中ではこの二人と松浦さんが非常に似ていると思っています。
それについては長くなるので改めて熱く語る機会があればw
あと忘れないうちに。
是永ブログはあの画像また復活してますよw
ただ単に(C)付け忘れたから一旦消されただけでしょうね。
今回は藤本と吉澤について思うところを書いてみようかなと思います。
今年の春の「はろよし」本発売の頃だったかな?
pさんが「はろよし」の中で吉澤が「自分と藤本とは似てる」って書いていたことに対してコメントをされてたんです。その時に「似てるんじゃない、吉澤は藤本と自分は“似てると思い込みたい”んだ」って書いてらしたんですよ。それを読んだ時、ものすごく「あぁ」と思うところがあって。吉澤は本以外にも確か「娘。ドキュ」や「恋するフットサル」でも藤本と自分は似ていると発言しています。ちなみに藤本自身も何度か「自分と吉澤は似ているところがある」と言及しています。
人はよく、少しでも憧れているもしくは好意を持つ、興味を持つ相手に対して、「自分と似ている」という感情を持ちますよね。相手との「共通点」を探そうという感覚。吉澤の場合、何て言うんだろう「距離感を計る」みたいなところもあるような気がしますが。
つまり吉澤は藤本に対してある種の「ああなりたい」という部分を持っている。それは藤本も同じなんだろうと思います。ただその「なりたい」部分はそれぞれ違うんだろうなと。自分には持っていない部分=吉澤は藤本の「自由さ」「破天荒さ」、藤本は吉澤の「愛にあふれたところ」「包容力」に。それはある種の「リスペクト」になるんじゃないでしょうか。
> 蛇足ですが、そういう意味で「みきよし」の怖さっていうか、
> 凄みっていうのは、ある意味対称的なふたりってとこにある気
> がします。
それがこれなんじゃないのかなと。
二人ともおそらくはまったく根本は違うんだけど、磁石のNとSみたいに何かのきっかけでピッタリ重なり合う「危険性」を孕んでいる。
お互いがお互いを認めるがゆえ、その距離が激しく近くなるというかね。
だからこの二人はすごく面白い。どうなるのかまったく予測できないところがあります。
それから。
> もし吉澤がいたら、あんな写真撮られるようなことは(恋愛は
> あっても、撮られないようにもっと注意深く行動するとかって
> 意味で)なかったのかもとか吉ヲタフィルターで妄想したりし
> ました。吉澤がいなくなることを考えた時、藤本は、宙に浮い
> たような、孤独な存在としての自分がむき出しになったような
> 感じになったのではないか、と。
これは私もそう思いますよ。
というかこれ以外の適切な理由ってのが浮かばないんですよね。あくまで推測でしかないですけど。カプ云々じゃなく実際。
昨日の「認めない」話にも通じるんですけど、例のフライデー騒動の際によく「藤本はリーダーなんかなりたくなかったんだ」って言われたじゃないですか?
私は必ずしもそうじゃないと思ってるんですよね。
そりゃリーダーになる「意識」とか「覚悟」は吉澤とは比べものにならないと思いますが、藤本は藤本でどこかに「リーダーになろうとする気持ち」は持っていたと思います。
覚悟も。
SSAの吉澤卒コン。
吉澤は最後に大きな翼を背中にまとっていました。
その時確か藤本は「よっちゃんそのまま飛んで行っちゃいそうだね」って言ったんですよ。ポツリと。藤本はあの「翼」を見た時にまたひとつ孤独を感じたんじゃないのかなぁ。
大きな翼をつけてまばゆいばかりに輝く吉澤を見て、改めて吉澤がいなくなる現実、そして明日から自分がリーダーになる現実を実感したのではないかと。
藤本はね、多分あの「翼」で自分も一緒に外へ連れ出して欲しかったんじゃないかと思うんですよ。今までのキラキラした日々をそのままに。
でもそんなこと無理。自分は吉澤からバトンを受け取らなくちゃいけない。未来を託されたんだ。だから藤本の卒業コメントにはどこか「迷い」があるんですよね。言葉の端々にそれを感じるんです。
吉澤から「重たい船の舵を回して〜」って話をされた後に「がんばります」って言っている。どうしたらいいんだろうっていう気持ちとプレッシャーに負けそうな気持ちとなんだかいろいろ。吉澤が最後に「お母さんおいで」と声をかけるのに対して、藤本が「お父さん」じゃなくて「ひとピンク〜」と返している。そこに藤本の迷走を感じるんですよね。
(何かメチャクチャキモくないですか?w大丈夫ですか?w)
リーダーになりたくなくて、さっさと娘。を抜けたくて撮られたというよりも、不安定な気持ちをどこかに残している隙を突かれて撮られた。私はそう解釈してます。
あと意外だったのは、加護の時には結構加護を擁護して週刊現代を批判する人がそれなりにいたと思うんですが、藤本の時にはフライデーを批判する人ってほとんどいなかったですよね。何て言うか、それがつまり「認めていない」ことなのかなとちらっと思ったりします。まぁだからと言って彼女のしたことの理由づけや言い訳にはならないのは勿論ですが。
やめるしかなかったんでしょうね。多分。
選択肢はあったと思いますがやはりそうならざるをえなかった。
そしてそれに対するエクスキューズすら藤本には未だに与えられていない。これからも多分ない。
何て言うかね、一言で言えば「せつない」ですよ。
藤本の歌を聞かせて欲しい。
早いうちにね。
夏草
(参考)
俺、吉澤が藤本を「自分と似てる」って言うのは強がりだと思う。憧れ、というか。そう思いたいって思ってるってことにすぎないと思う。
(2007年5月2日「テキーラとTシャツ」)
吉澤と藤本は似た者同志か?なんちゅーか、本質的には草食動物と肉食動物ぐらい違うと思うんだけど(中略)似た者同志、と言う吉澤は、潜在的に藤本のようでありたいと思っているのかな。
(2006年9月24日「4つの劇薬」)