「リボンの騎士」は女性的で繊細に構築された世界で「何日君再来」は男性的で破天荒な世界?違う。全然違う。この物語の大胆細心ぶりは一筋縄ではいかない。だってフツー避けるでしょあんなテーマ。日本と韓国、と書いただけでこのブログだってどんな検索でどんな人が見に来るかわかんないし。台湾独立、なんて怖くて書けないよ書いたけど。ここはモーヲタ(あ、もうモーじゃないのか)のブログです。
吉澤の声は若干高く細く、やや緊張しているように感じた。
でもラストの(ミカ的にラストの)長セリフ、すごくよかった。
自分が筧になったような気持ちで見ていた。そうだ、そうだ、その調子だ、そこでもうひとつ張れ、間をとれ、力入れろ、もっとだ、そうだ、と筧はきっと吉澤に目で言ってくれてたと思う。そして吉澤は見事に言い切ったのだ、クライマックスへと物語を動かす重要な重要な重要なセリフを。
あそこは初日の石川を見ていても難しい場面だなとの印象をもった。
なぜ難しいのかと言えば、物語に無理があるからである。
戦争、差別、立場を超えた友情、信頼、仲間、立場が邪魔をする恋愛感情、男の夢、女の夢、命がけの仕事、国を思う気持ち、平和を願う気持ち、歌の力、家族と個人、家族と国、権力欲、豊かさと貧しさ、自由、自立。ざっとあげてもテーマはこんなにある。これすべて盛り込んでも物語が成立しているのは一重に筧の「熱」による。筧ありきの芝居だし、筧の「熱」でギリギリ、かろうじで成り立っている物語だ。そのギリギリ感、ファールになるかならないかのライナーを追いかけて楽しむ芝居だ。
(5月16日 AM0:50頃この段落加筆&コメント欄に珍説追記。
ミカの長セリフの難しさは、論点の絞れなさにある。
ミカは日向の中の「何」に語りかけるのか?リンへの恋愛感情?信頼感?仲間意識?平和を願う者としての正義感?あるいは、いつも隣にいた男を失った悲しみの反動から他者の幸福を願う者としてのミカ自身の叫びなのか?そこが絞りきれない。絞ればいいというものではもちろんないが、たとえば「恋愛」と「仲間意識」は似てるけど違うものだし、こちらもどこを軸に感情移入していいかちょっと戸惑う。筧は説得される側だから黙っているしかない。筧の熱やノリが頼れない。だからこの場面は難しい。)
個人的には黒木メイサ演じる「リン」の内なる葛藤をもっと感じたかった。リンと日向のパーソナルな物語の濃度を上げてもいいのではと思った。でも、そこに絞るといろいろあぶなくなってしまうんだろうな。単純に言っていろいろな団体からの抗議とか。だから「海に線は引けない」「アジアはひとつ」的な大きなテーマの度合いを上げて着地させる必要があったのではないか。その結果パーソナルな物語の濃度は薄くなったと。好みの問題かもしれないけどちょっと残念だった。
盛り込み過ぎという意味で、そしてアジアのデリケートな問題を扱っているという意で、この芝居はとても危うい。だが、私はその危うさをマネジメントする作り手の技を堪能した。楽しそうにマネジメントしていたのが良い。豪快、男の料理!って感じだ。なぜそう感じたかと言うと、ここぞ、という物語のターニングポイントのうちいくつかは「冗談」だったからだ。こんなとこでそんな冗談、キムシンならありえねーって思ったw
どこを指して「冗談」と思ったかというと、ふたつあって、ひとつはミカの歌手名の由来を話した後のオチ。
あそこは、ミカがこの後も仲間と動きを共にするかどうか、という実は相当重要なポイントだったわけだ。何気なく笑って流れていってしまうけど、あそこでミカが脱落していたら、店長のあのシーンは薄っぺらになっただろうし、クライマックスへ向けて、日向の気持ちを再度奮い立たせる役割は誰がやったのか、などなど考えれば考えるほど重要なシーン。でも冗談。最高だ。
ふたつめは、クライマックス、日向がリンの前に登場して「なぜここへ?」と尋ねられたときの返事。「
泳いできた」。(ネタバレなんで一応白字)
これもすごい冗談だ。誰も笑わなかったけど、ここ笑うとこじゃね?と俺思った。
芝居ってこういうのがアリなところが映画や小説と違って、いいよね。俺全然アリだと思ってるんだよ本当にここ最高。そんでさ、そんな無茶をさせたのが我らがミカのあの長セリフなんだよ。ね?すげーだろ?すげーんだよもう。
ミカの役って、つなぎ粉なんだよね。どっかで聞いた言葉をあえて書くけどw。
展開点で触媒のように機能して、物語を押す役割。さりげなく押す役割。
そこに吉澤だ。
危うい物語の、さらに危うい結節点に、まだ危うさを隠せない吉澤がいた。
危うさのマネジメントとタイトルに書いた。作り手が危うさのマネジメントを楽しんでやっているのがいい、と書いた。もちろんもうひとつ意味がある。それは吉澤自身の課題。吉澤がこれから自分の緊張をほぐしていくことを含めて「危うさのマネジメント」と書いた。物語と吉澤の両方をその視点で、5月13日、俺は見ていた。
でも吉澤については全然心配してない。立派だった。いい姿勢だった。見とれた。
あとは空気。「これ全部俺の空気だ!」と思って息を吸ってくれ。もっと暴れてくれ大臣。
俺が言いたいのはそれだけ。
カーテンコールでの笑顔、よかった。ほっとしたような照れたようなうれしそうな。隠れたいような誇らしいような。でもまだ緊張していて。
スタッフ、キャストの皆さんありがとう。特に筧さん。吉ヲタとしてお礼を言います。
「歌ってる」吉澤かわいかったなぁ。
幻のアイドル・吉澤ひとみを見せてもらった。吉澤の魂が別モノだったらフツーにあーゆー姿もアリだったんだよな。でも俺やっぱ、それだったらこんなに好きじゃなかった。でもだからこそ、あーゆーの見れて楽しかったYO!
口パクってせつないよね。
一応「アイドル」とされている人にあれをさせるっていうのもおもしろいと思った。本人の意識に絶対何か響くと思うんだよね。歌うって何?って。あたしの声は?って。
そして一度だけ許されたワンフレーズの価値。
吉澤が、そしてF列で見ていた高橋、小春、あと誰だ亀?が「歌を歌えるよころび」について思いを新たにする芝居であればなお意味があるなぁと思いました。
さて、ここでpt-boilからお知らせです。
これから、このブログは更新の間隔があくかもしれません。
SSAで俺吉澤に打ちのめされたって言ったじゃん?
なんかさー「お前はお前の仕事しろ」って言われたような気がしたのね。「お前のリアルは何なの?」って。そういうパンチもらった気がした。
仕事ってリアルの仕事っていうショボいことじゃなくてさぁ。俺のやるべきことっていうか。そしたら真っ先に浮かんだのが書きかけのアレですよ、娘。小説「フライト・レコーダー」。それ全然リアルじゃなくて妄想じゃん!って猫でもつっこむと思うんだけどさ。それが浮かんでしまった。あれなんとかしようって。
ぶっちゃけ、ここ来てる人って、娘。小説書きのブログと思ってない人の方が多いような気もする。考察系テキストブログって思われてるような気がする。それはそれで光栄です。
ブログ休んだからって書けるかどうかわかんないんだけどさ。
もはや誰も待ってないかもしれないし、誰も待ってなくてもいいんだあれは究極の自己満足。でもそれが足りなかったんだ、ずっと。
何日君再来はたぶんわりと観にいくから、観たらやっぱブログに書きたくなってあっさり更新してるかもしれないけどさ。ちょっと、ね。
や、わかんないんだけどさ。(歯切れ悪っ。でもそれがpさんクリッティ)
あー、好きなものバトンの好きなお菓子、「くずきり」だったかも!黒蜜の!
てか比べられねー!