辻アホだなと思った。「辻ちゃん」だからアホでいいのか「辻ちゃん」だってアホじゃダメなのか、それは各人の人生観、仕事観、女性観次第。辻について語っていながら、語られている内容は辻観ではなく人生観。たくさんの人生観を拝読した。
俺はイヤな大人なので最初に考えたのは事務所の対応だった。
事務所は吉澤卒業そしてドキみきの生放送まで伏せられておくように頼んで回ったんだなと思った。でもだからって事務所GJとか事務所ありがとうとは思わない。
当たり前だからだ。その程度の配慮を大事な卒業時に代役を任せられた吉澤に対してできなくてお前ら給料もらう資格はねぇ。あのコたちの稼いだ金だぞ全部。
もし報道が待ってくれなかったらと思うとぞっとする。新聞社に金を落としておいたのもよかったのかもな。吉澤がSSAのライブ後の記者会見で「今の気持ちを辻さんに何と伝えたいですか?」とか「辻さんからどんなメッセージをもらいましたか?」みたいな質問をされなくて本当によかった。吉澤ならきっと笑顔で受け答えをしただろう。でもそんな負荷のかかった笑顔を俺は見たくない。
さて、もし、今、目の前に辻がいたら俺は何と言うだろう?
「よかったね。お幸せに」とは言える。でも「おめでとう」とは言えないと思った。
その差は何か?
これは俺個人の言葉の感覚でしかないけど、俺にとって「おめでとう」は祝福だけでなく賞賛の意味を持つ。がんばって何かを成し遂げた人に捧げる尊敬・慰労・賞賛の意味のある言葉だ。「おめでとう」は「すごいね、がんばったね」と近い。
「吉澤、モーニング娘。卒業おめでとう!」
この時使った「おめでとう」という言葉を今の辻に捧げることに俺は抵抗がある。辻はずっと不妊に悩んでいてがんばって妊娠をなしとげたというのなら話は別だが。あぁイヤミったらしい口調になってしまった。ココロが狭すぎる。「おめでとう」という言葉を一段上の視点から、優しい気持ちで使ってもいいはずなのに。
「よかったね。お幸せに」とは思ってるし、言える。
でも明日予定されているという記者会見は見ないかも。笑顔でカメラに向かってくれという気持ちと、謝罪の表情でカメラに向かってくれという気持ちの両方がある。辻と辻の夫になる人を俺はすごいなぁがんばったなぁと思わないけど、だからってダメだなぁとも思わない。ひとことで言えば、しょーがねーなぁ、だ。辻が早くに子ども産みそうな気はしてたし。そして何度も言うけど幸福を願っているよ。