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自分がビビリだなぁと思うのはこういう時で、つまり私はビビっているのである、エルダ卒業に。
それを特別なことじゃないと思っていると思っていて、だから横アリは一応行くけど中野サンプラザは
行かなくてもいいやぐらいの気持ちでいた。
でも実際に始まってしまうと、それは「あと何回」というカウントダウンであるように思われた。
特別なことだったんだ。東京も大阪も名古屋も全部行かなくちゃ、と思いそうになった。
でもフルコンプしたいというノリで動いてしまうと、エルダチームのハロプロ卒業が、
自分のなかでほんとにおおごとになってしまう。たいしたことないはずなのに。
卒業したって今までと全然変わらないはずなのに。
特別なことと特別でないこと。その間を右往左往している。そういう葛藤のなかにいる。
すべて特別な一日。
それだけのことかもしれないが。
ハロコン初日が来てしまった。なんか緊張してる、俺が歌うわけでもないのにw
しかもきょうは仕事で行けない。雨の音、クルマの音を聞きながら「ある光」。
今さらだが大阪エルダコンの感想を書こうと思ったがtomiko_yさん
とhar_iさんの書かれたものを読んだら気が済んでしまった。そう、そう、そう。
エルダメンのハロプロ卒業っていうよりも、モーニング娘。のハロプロ卒業っていう気がした。
もう高橋と新垣呼んできちゃえよ、と思った。
間違いさがしのようなメンバーの組み合わせ。
この曲の時、ホントはこの人はいなかったよな、いや、いたっけ?とか考えて
時間の感覚が一瞬あいまいになる。
パラレルワールド。何事もなかったかのような。
ちょっと現実じゃないみたいだった。ヘンな夢見ちゃったなっていう。
26世紀の人がよく調べないでメンバーを並べた3D映像。
貴重な剥製を特別な場所に保管することが決まって、その前にみんなに見せておく儀式。
もっと早くこうすべきだったのかもしれない。
中澤は今にも泣きそうで、飯田はどこか硬くて、なっちはやわらかく飄々として笑顔で真ん中にいた。
冒頭の白い衣装、吉澤の「I WISH」だけでもう。呼吸が止まる。
白い服を着てあの曲を歌い始められるのは、石川と吉澤だけになってしまった、と思うと同時に、
そんなことどうでもよくて、ただただ吸い込まれるように見とれる。
続いていく孤独と今ここにあるもの。
ヲタになったのが2003年だから「愛あらばIT'S ALL RIGHT」は特別な曲だ。
自分にとってモーニング娘。を象徴する曲のひとつ。
まんなかに吉澤がいた。当時、端っこだった吉澤が。
あのちょんまげみたいな髪型もなつかしい。
写真なんかスキャンしちゃったぜ。クリックすると大きくなるのかもしれません。
時代はそれぞれいっぱいがんばってきたよね
帰りの新幹線で。
結果オーライってあんましいい言葉じゃないけど。
苦笑と微笑を2:8で混ぜた感じで。
愛あらば結果オーライ♪と小さく歌ってみた。
それにしても、まいちんのあの映像すごかったなぁ。
後藤のキーワードが「普通」で加護のキーワードが「子供」なら、
吉澤のそれは何だろう?吉澤のキーワードは「闘い」だ。
吉澤は、闘いたい人だ。そして、闘わないことを選べる人だ。選びがちな人だ。
「闘う人」と書かずに「闘いたい人」と書いたのはそういうことだ。
闘いたい。闘えない。闘わない。闘いたくない。
吉澤は、闘うことと闘ってきた。
バレーボール、オーディション。
ハロモニ。、モーム素部屋、「闘」Tシャツ。
「毎日が闘いだったね」卒業する石川への手紙。
ガッタス。
ガリベン。
あの日やあの時、泣かずにステージに立つ闘い。
低迷期を抜け出るきっかけがガッタスだったのはそれが「スポーツ」だったからだが、
もっと言えばそれは「闘い」だったからだ。闘いたいのに闘わない自分と闘っていた時。
だからと言って吉澤は好戦的な人ではない。むしろ逆。
卒業のとき、吉澤は「白」が好きだと言った。
何色にでも染まるから白。これは他人の気持ちを受け入れようとする心だ。
周囲に気を使う吉澤。できれば闘いたくない吉澤。闘う者には不向きな優しいこころ。
白と黒。
もともと吉澤の好きな色は「黒」だ。
吉澤が好きな色は白と言ったとき、無意識に「黒と対の色だから」と思ったんじゃないか。
吉澤の好きな色は白でもなく黒でもなく、白と黒、なのでは。吉澤の好きな世界は。
白と黒は勝負の記号でもある。
勝ちと負け。
闘いたい気持ちと闘いたくない気持ち。
奪いたい気持ちと譲りたい気持ち。
両方を受け入れたい。
黄身と白身セットでおいしいゆでたまごのように。
この支配からの卒業と歌うあの歌は、闘いからの卒業、という言葉で終わる。
吉澤はどうかな。
闘いとの闘いに卒業はあるのかな。
くんせいたまごを食べながら書いている。
吉澤ひとみの白と黒。
ずっとここにいたい、外になんか出たくない、一生ここにいる、そう思って観てた。
ヲタって外で見ると気持ち悪いのに中だとなんであんなにいい奴らなの?
中澤は歌い終わって耳からイヤフォン?モニターするやつをパッと外した。
中澤にダイレクトに流れ込むヲタの声、汗、振動、波動、湿気、熱。
濁流のように押し寄せる強いエネルギーも微細な鼓動も全部直接感じたい、というように中澤は大急ぎで耳からそれを外したんだ。そして客席を見渡し、ぎゅっと息を吸い、ありがとうございました、と言った。中澤の感覚とヲタの感覚が一瞬ひとつになる。見る者と見られる者の垣根が溶けた。
同じだ、と思った。みんな、ひとりの、名も無き者。
3人が「モーニングコーヒー」を歌い始めたとき、ここから始まったんだなと、まるでこの星の、いやこの宇宙の最初の人類を見るような崇高な気持ちがした。でも、矛盾だがごくフツーの女性、女のコが歌っている、という気もした。
トクベツとフツー。名も無き者。名も無き星。
吉澤も、名も無き者としてそこにいたように思う。
もし吉澤が、ありえないけど答辞を読む人のひとりだったら、あの涙はなかっただろう。
あの涙はただの涙じゃないのさ。
あの涙は流れ星。
「プッチモニでした!」とか「タンポポでした!」とか彼女たちは言わなかった。
エルダコンで「岡田唯、三好絵梨香、石川梨華、元・美勇伝でした!」って自分たちで言ってて、「元」とかになんだかな感を感じていたので言わなくてよかった。
「プッチモニ」って言われたらやっぱりいない人のこと思うし。
「でした!」とか言われたら終わりみたいで悲しいし。
名乗らないでくれたから、そーゆー小石につまずくことなく、大きな流れに身をゆだねた。
でも「カントリー娘。でした!」は聞きたかったな、まいちんの、大きな、元気な声で。
(つかカントリー娘。ってどうなるの?)
五期に萌えた。いっしょに走っちゃったりしていいなぁ。
さくら組で、パートの少ない吉澤が外周移動でなごんでるって言ったらアレだけど、
手とか振りまくってたのがかわいかった。そして、彼女のパートを歌っていた。
ハロプロアワードっていう形式がどうも好きになれないのは「安易な愛も愛なのよ」と言わんばかりの
つんくの賞のネーミングに腹が立つからだが、もっと正確に言うなら、安易な愛も愛っていうのも一面では真実なので否定しきれなくてイラッとくるのだ。そういう意味で、光井や梅田に賞をあげてたのはよかった。きっとうれしかったと思うもん。
送辞のとき、吉澤は高橋見てて、泣いたんだと思う。
飛び立つ、というよりは、託す、という卒業。空ではなく地上を見ていた名も無き星。
いま、ここにいる不思議について考えていた。
俺という流れ星はどこへ行くのか。
あぁどうせいつか消えるなら、吉澤の頬を流れて消えたい。
ちょっと特攻服に刺繍してきます。