DVDを昨夜開封して観た。
記憶と記録は別ものだ。
記憶に勝るものはない。
だが記録としての「リボンの騎士」もまた私を掻き立て、急き立てる。
何に?人生のようなものへ。おおげさだなぁ、いつもいつも。でもそうなんだもん。
リボンの騎士については今まで19個も日記書いてるw
初日レポ、すごい集中力で書いたっけ。
それでもDVDから新しい発見はいくつもあった。
たとえば私は階段の色は白、と思い込んでいた。石を模した色ムラに私はDVDで初めて気がついた。そこに靴がぶつかった跡のような黒い部分が点々とあったりするのは客席からはわからなかったことだ。観ようとしなかったことだ。そういう記録、情報に、現場以上のリアルを感じる。記録ならではのリアル。
たとえば、小春の頬が先日観たカレーファイナルの時より明らかに「子ども」らしいこと。
王の衣装になる前、息子の衣装の小春にはギリギリ、子役、と呼べるかもしれない年齢の空気がある。出演者の中で唯一。
そういう意味での異質さ、存在感を改めて感じた。小春は物語の中にいながら、どこか独立してるところがある。浮いてるっていうのとは違って。うまく言えないや。不思議な強さと色があるよなぁ。
十時課でトリックスターと表現されていたことを思い出しました。
大臣の息子だけが物語を俯瞰できていたのかもしれない。
小春の顔ってことで言うと、つい先週のカレー(カレー=カレーライスではないんだよな、あのツアー)ファイナルの小春は子役と呼べない顔になっていた。数ヶ月のその差。時間ってすげー。1000年や2000年くらい待とう。
「そういう愛情ってなんかこわい」
小春が、いつか、結婚して、子どもができて、女のコで、14歳になって、このDVDを初めて観たとして。けっこーありきたりに幸せでありきたりに娘のことが心配であれこれ言う母親に小春もなっていて、ありがちな親子喧嘩とかあって、そんな時、小春の娘がこのDVDを見つけてこっそり観るわけ。
んで、小春の娘はこのシーンで「これだよこれ、あーゆー愛情がウザくてこわいんだよ」とかつぶやいたりするわけ。でもけっこー感動したりするわけ。そんで、仲直りがてら、リボンの騎士観ちゃった、とか母親に話しかけて、あたしも生で見たかったな、とか言ってみるわけ。すると小春は微笑んで言うのさ。「あなたはまだ生まれてなかったからね」って。
わけのわからん妄想だー。
20年後とかでも、誰かがこの「リボンの騎士」を観て、感動することがあると思うんだ。この舞台を見た人も、観ていない人も、ずっと先の未来のある日、このDVDを取り出して、観て、心を動かす瞬間が。
なんかそういうことが言いたかったのかもしれない。
メンバーなんてみんなどうなってるかわからないけど。
リボンの騎士はどこにもない。あるものは思い出す必要がない。ないから思い出す。
少なくとも、木村氏の言う通り、私はこの感動を墓場まで持っていくよ。
人生♪人生♪
編集もいろいろ難しいとこがあったと思うけど丁寧な仕事がなされていてよかった。
欲を言えば第一幕の最後は、木村氏が「活人画で決まる。」とト書きで表現したストップモーションの引きの一枚絵が見たかった。
あと数時間で八期とか決まるんだね。
その前にリボンの騎士についてメモを残しておきたかったので更新するです。
(これでやっと巡回できるw)