ガッタスのCDデビューに関する日記に多くのコメントをいただきました。
自分の整理とコメントレスを兼ねた文章を書きます。
未読の方は前回と前々回の日記とコメントを一読していただくことをおすすめします。
まず。
この文章は攻撃や説得を目的としていません。
ヒトは説得されたくない生き物だ、というのが経験から得た私の持論ですw
ですから、この文章は説得ではなく、我彼の差異を明らかにしわかりやすく説明するという目的で書きます。人は説得されなくても多少の納得度をあげることはできると信じるからです。
「ふーん、そういう人もいるんだ。屁こいて寝よ」
そういう読後感をめざします。
謝りたいことひとつ。
書きたくない人もいるんだよね。否定的な自分の感情を。そういう人が私のとこを読むことで書かざるを得ない気持ちになっていくことに対して申し訳ない気持ちがしました。俺は書いておきたい人だから書くけどみんながそうとは限らないよね。ごめん。いやなことさせて。
んじゃ、書きます。
まず、結論。
私の言いたいことは次の2点です。
1)事務所への怒り:ガッタスをああいう形でCDデビューさせることはブランド管理者として間違っている。
ガッタスとは何か、ガッタス観、ガッタスの定義と関連させて書きます。
2)ヲタへの落胆:楽しまなければポジティブじゃない、というメンタリティに恐ろしさを感じた。
ガッタスは二の次の者の「楽しみです」がポジで、思い入れを持って見てきた者の「悲しいです」がネガと単純にカテゴライズされ、ネガが忌むべきものとされることへの危惧。真に肯定的・否定的とは何か?ということに関連させて書きます。(ホントか!?)
本文!
1)事務所への怒り
◎これは変化か?
私は今回のあのメンバーでのCDデビューをガッタスの変化のひとつと捉えることはできません。
フェアレディZはスポーツカーだからフェアレディZじゃん?
スポーツカーっていうコンセプトが不変ならいくらカタチが変わってもいい。変わるたびに新しい魅力が生まれる。でも「今度のフェアレディZはファミリーカーです」となってマーチのような車が発表されたら?
私は「これフェアレディZじゃないよね?」と言うと思います。
そのときに「車であることは変わらないんだからいいじゃん」と言える人が
あのメンバーでのガッタスCDデビューを変化のひとつと言える人なんだと思う。
私は変化を嫌っているのではありません。
あのメンバーでのCDデビューはガッタスのコンセプトの破壊であり、単なる変化のひとつとは言えないと受け止めています。カタチが変わることは受容できる。でもコンセプトが変わったらそれはもう別のものです。
商品コンセプトを安易に破壊した事務所の判断に呆れています。
別のものにガッタスというラベルを貼って商品にしてしまえという判断に呆れています。
既存のガッタスを破壊する行為であるだけでなく、もしかしたらおもしろいことになったかもしれないこのCDユニットの可能性をも歪める行為です。
別のものになることも含めて「変化」じゃん、という考えもあるでしょう。
フェアレディZをスポーツカーと捉えるか、クルマ、と捉えるか。
考え方の枠組みの違いなんだと思います。枠組み、定義、本質、コンセプト。
さて、ガッタスとは何か。
◎ガッタスとは何か?
フットサル普及を目的とした女子芸能人フットサルチーム。ハロプロ所属の。
これが一般的なガッタスの定義だよね。歌出すのだってこの定義に照らしてフツーにありだ、と言われればまったくその通り。
今回思ったのは、ガッタスの定義には2種類あるんだってこと。
カタチか、気持ちか。
カタチの定義と気持ちの定義。
上に書いたのはカタチの定義です。気持ちの単語はひとつも入っていない。
そして気持ちの定義はカタチの定義みたいにバーンと言い切れない。「気持ち」だから。人の数だけ定義がある。でもおそらく、自主性、真剣勝負、絆、場、仲間、そういう単語で構成されるはず。人によってはそこに、仕事と別の、とかそういう単語も入るでしょう。
今回わかったことは「ガッタスとは何か?」と問われて、カタチの定義を答える人はポジティブとカテゴライズされがちで、気持ちの定義を答える人はネガティブと言われがちってこと。たとえば、ポジティブ派、ネガティブ派って書くとどうしてもネガティブ派の方が暗くて避けるべきものに見えるけど、同じことをカタチ派、気持ち派、って書いたらどうかな?避けるべきものに見えるかな?
当たり前のことだけど、こんなことになる前はカタチの定義と気持ちの定義が指し示す実像は一致してたんだよ。
でも今回のことでズレてしまった。それが悲しい。
アイドルとスポーツというわかりやすい二重性に加えて、こういうふうに気持ちとカタチ、違う次元で複線的に定義できるってことが、ガッタスらしさでもあったんだと思う。
ハロプロのほかのグループと決定的に異なる点だったんだと思う。
今のあのCDガッタスに気持ちの定義は成り立ちません。
将来的にはわからないじゃん、とつぶやいた人もいるでしょう。
確かに。将来的には気持ちの定義が成り立つ時もくるでしょう。私もそう思います。
私が書いているのは「今は」ないということです。ただそれだけです。
そして、何かコトが起こると条件反射的に将来の可能性を強調したり、
また、性急に肯定しようと全力になるスタンスに私は恐怖にも似た違和感を感じます。
2)ヲタへの落胆
条件反射的に将来の可能性を強調して、今、破壊されたものから目をそらすこと。
私にはそれが前向きでポジティブなこととは思えません。現状から性急に目をそらそうとする態度はむしろネガティブなのではないでしょうか。
否定的感情については、名無しさんが書いてくれたコメントに私の言いたいことが書かれています。
>マイナスをマイナスと声にして言うことはごく普通の感情ですしそれは決して悪いことではない。
言いたいのはこういうこと。
「ねーねーこれ、おかしいよね?」
「あ・・・・・あぁ、まぁね」
「おかしいよね?」
「何度も言うな、うぜーんだよおめー俺らもう切り替えたんだからよ蹴り殺すぞゴルァ」
「のわわーーん(AAどっかいった)」
みたいなさ。
そういう空気。
いちばんショックなのは、事務所への怒りを表明すること=がんばってる彼女たちを応援しないことみたいな誤解。
がっつり疲れた。違うことでしょ全然。
応援してないわけないじゃん。
俺だって前の日記に書いたけどCDは買うしライブも行くよきっと。
言いたいのは、今、強く思った感情を、書いておきたいなってこと。
そして将来、また何か思ったら、それはそのときにまた書く、たぶん。
強く思ったことを書かずにCD買ったりライブ行ったりすることの方が自分的に気持ち悪い、不誠実なことだということです。あくまで「自分的に」ね。強制はしないよ。
自分的にはすげー誠実なのに、なんかさー、それがさー、ネガとか言われるとさー、凹む、みたいな。
どっちがほんとのネガだよ、みたいな。
俺はいいよ?ずうずうしいから。多少凹んだって書くときは書くよ。
でもさ、書こうかどうしようか迷ってる人もいると思うんだよね。
そういう人にとってはすごく書きにくい空気だと思うんだ。
迷ったら、書かない。そういうふうになっていくのつまんないじゃん。意思をもって書かないって決めてる人は別として。
迷ってる人が沈黙を選んで、ますます「ポジティブ」な言説ばかりが広がっていく。
耳障りのいい、一見、誰も不快にしない言葉ばかりが「ポジティブ」とカテゴライズされて。
それほんとのポジティブ?
誰かを好きになれば。
毎日真剣であれば。
BEポジティブってこれだろ?
3)まとめ
最後、筧汁が出そうになりました。読んでくれてありがとう。
俺は確かに暗い人間だが、けっこーポジティブなんじゃないかと思ったりする。
こんなに一生懸命説明しようとしたもの。少なくとも、すげーまじめ。自画自賛。
ポジティブ?ネガティブ?うんにゃ、俺はマジティブ!
マジヲタでネガでポジで頭ちょっとおかしいマジティブで行きます。
コメントいただいた方のすべての論点に応えるつもりで書きましたが、
うまく書けなかったとこもあるかと思います。質問とか全然してください。できるかぎり応えます。
でも、ネットの文字だけのコミュニケーションでは最終的に100%納得しあうことは無理だと思ってます。
そういう前提でよければ。
ほんと、会って話したら笑ったりできるんだけどね。でもまぁそれは。
なんつーか、うれしかったのは、違う意見のやりとりができたことそのもの。
フツー避けるじゃん?同意したことしかコメントしなかったりするじゃん?
そうじゃないコメントを残そうと思ってくれたってことは、
ほんとに意見交換してみたいって思われたっていうか、違う考えを書いてもケンカとか罵倒にならないだろうって思われたんだ、と、いい方に解釈しています。ある意味、信頼されたと。それはうれしい。
ででででも、もしかしてそう思ってるのは俺だけ?
フツーに嫌われてるのだろうか。
その場合は、さりげなく俺のトゥシューズに画鋲を入れるなどのやり方で教えてください。