うわー、吉澤、なんて目で矢口を見るんだ?
吉澤、絶対あの小説読んで役作りしたな。
娘。小説「冬へと走り出そう」。
先に好きになったのはたぶん自分。でも、今は同じかそれ以上に相手の中に自分が映ってるのを知ってる。動き始めた感情に相手が少し緊張してるのも知ってる。真剣ぶって前見ててもこっち気にしてるの知ってますから。後輩だけど。関係ないから。受け止めますよ?
走る。欲しい。頬にあたる風が感情と同じになる瞬間を、もっと。
歌の冒頭からエンディングでひとつのドラマ。始まりと、始まりの終わりまでのストーリー。
吉澤が手を差し伸べるように微笑んで矢口を見て始まり、最後の「消えないように」で吉澤は始まりを終わらせた。始まりの先を見るように自分の左上に一瞬、強く目線を走らせて。
前半は矢口のことさんざんニコニコして見てたくせに、あそこから歌終わりまで一切矢口を見ないのがいいんだよなぁ。最後の肩抱きしめは、基本的には余計。あれはストーリーの外だから。あれに萌えてるわけじゃない。
などと思って見ている俺の設定は「冬へと走り出そう高校」の一年なんだ。
制服はブレザーなのにひとり学ランで通うヨシオ、それが俺。
吉澤とは一度も話すことなんてないのさ。ラブレターを渡したりもしないのさ(毎日書くけど渡さない)。
「吉澤先輩、最近なんか表情変わったよなぁ」とか思って見てるだけ。
学食で割り込まれて最後の焼きそばパンを奪われたのが吉澤との唯一の思い出なのさ。
その時軽く踏まれた足の親指の痛みが消えなければいいのにって思ってるのさ。
ハイスクールララバイ♪
あれこれを思って矢口に対してネガティブな気持ちが起こりがちだったが、今回はそれを上回る感情が娘。小説回路から流入して脳を席捲した。
最近、吉澤を見ていると、すべての経験にYESと言いたいと思えてくる。
YESと言いたい自分でありたいっていうか。ありたいってことは、まだまだそうなれてないってことだけど。ネガを被い隠さないポジ。ネガに手をつっこんでドロドロにするポジ。
音楽ガッタス。
音楽ガッタスを受け入れたくなっているのは、それがあまりにも「Gatas Brilhantes H.P」と違うからだ。全く別モノゆえに「Gatas Brilhantes H.P」との異同を論じているのがバカらしくなってくる。
PVから改めて見えた「音楽ガッタス」と「Gatas Brilhantes H.P」の違い。
それは、個、ということ。そして、目線、だと思った。
tomiko_yさんが音楽ガッタスPVについて「物語性や横のつながりはあまり感じられなくて、みんながそれぞれに全力を尽くしている」と書いていらっしゃったが、まさにそれが「音楽ガッタス」と「Gatas Brilhantes H.P」の違いだと思いました。そして、物語性や横のつながりのなさ、つまり、音楽ガッタスにおける「個」のバラバラさが、自分的には嫌じゃなかった。
なんで嫌じゃないのかな?
やっぱそれはエッグのコたちの必死さ、初々しさ。
単純に言えば、ほだされてしまったのだ。もしあれがベリキューのコたちだったら初々しさやなんかはそれほど感じられなかっただろうから、「個」の感じを自分は好意的に見られなかったと思う。そして、逆説的だが、その物語性のなさ、初々しさ、必死さ、は、まさにゼロから始まった「Gatas Brilhantes H.P」の立ち上がり時期の混沌と通底するものもあるような気がしてくる。
違うけど、どっか同じ。
まったく別モノだから受け入れたくなっている、と数行上で書いたばかりなのに。差異を見つけて納得したいのか。共通点を見つけて納得したいのか。矛盾。無限ループ。
そして、目線。
あのPVって、ほぼすべてのカットがカメラ目線じゃん?
それがまた、横のつながりの印象を薄めるんだよね。
「Gatas Brilhantes H.P」では、メンバーはメンバーを見て試合をし、闘う。
「Gatas Brilhantes H.P」を見るということは、メンバーを見るメンバーを見るということだ。
でも「音楽ガッタス」は違う。「音楽ガッタス」のメンバーは何を見てるんだろう。
カメラを見てる。それは俺を見てるってこと?いや、あのコたちに俺は見えてない。
あのコたちはただ、前を見てるだけなんだ。
自分の前にある未来を。
その戸惑いや緊張に、いい年して「自分探し」なんて言葉を無視できない俺はYESと言いたくなってしまう。イタいな、ヨシオ。