「オリビアを聴きながら」と「音楽ガッタス1stアルバム&新アー写」。
一見関係ないこの2つをたまたま同時に考えていたらちょっと見えたことがあった。
それは「歌と吉澤」という視点。
ネタバレなしで書くつもりです。
初日に続き「オリビアを聴きながら」の二日目。
芝居のあとに歌のコーナーが5曲あって、座長の森口さんは最後の2曲を歌う。
1曲目の紹介で森口は「この曲は私が初めてNHKの紅白歌合戦に出た時に歌った歌です」と言った。
2曲目の紹介はこうだ。
「実はこのお芝居の初日に、私の二年半ぶりの新曲が出ました」
森口が「紅白歌合戦」って言った時、俺は「森口は今年出られないだろうし、これからもずっと出られないかもしれないのに、その番組名を言うってなんかイタいな」と思った。でも、あとからじわっと、彼女はそれを誇りに思い、大事に思ってるということを素直に表明したのだから、カッコ悪いことなんてない、と思いなおした。森口の歌手としてのプライドを感じた。
2曲目の「二年半ぶり」っていうのだってそうだ。しばらく出せなかった、ニーズがなかったというイタさよりも、二年半ぶりにシングルを出せたことのすごさに拍手を送りたくなった。ふつー、それだけブランクあったら出せないで終わるのではないだろうか。おそらく優秀で彼女思いのスタッフがいるのだろう。優秀なスタッフが、タイアップもついて、カップリングは彼女の作詩というシングルを実現させたのだろう。
ヒットに恵まれるのは、運かもしれない。でもスタッフに恵まれるのは、運じゃないだろう。タレントの努力や意思のチカラが大きいと思う。森口にはそれがあったのだと思った。尊敬。
芝居と歌、シニアグラフィティの2時間あまりのステージで、自分にとっていちばん印象的なセリフは、実は、芝居じゃなくて、この森口のMCでした。
「二年半ぶりの新曲」
吉澤にいつか言ってもらいたい言葉だな、これ。
いつも目立っていなくてもいい。ヒットチャートに一喜一憂していなくていい。
でも、自分にあった仕事があって、チャンスがあれば、歌だって出せる。ヒットだってするかもしれない。そして、なにより、歌う場がある。世間に開かれたステージで。
なんかねー、そーゆー吉澤さんでいて欲しいって思ったんだ。
歌と吉澤の距離が、森口さんみたいに「二年半ぶり」に歌を出せる距離であリ続けてほしいって思った。
目線を転じれば音楽ガッタスですよ。
エッグにとっては踏み台で、フットサルメンバーにとっては番外編。
自然消滅が見えてて、誰にとっても「本業」ぽくないユニットをまるで続くかのように扱う嘘くささ。GOODという言葉を選んだ人の潜在意識には罪悪感があるような気がする。
アー写の並び、ひどいよね。怒り通り越して脱力。GOODSALってほんとヤなダジャレだなぁ。せめて名詞にして欲しい、「食べ物大好きFOODSAL」とかさぁ。GOODって価値じゃん規範じゃん、FOOTとフェーズ違ってっからダジャレとしてもダメなんだよ。
売ろうとしてる。売られようとしてる。資本主義だからしょうがない、それは。
でも、「二年半ぶりの新曲」って言葉は音楽ガッタスにはないよね。そんなにもたない。そこまでもたせるつもりはないだろう。それが悲しいんだ。つまりさ、使い捨てってことだもん。その時楽しければいいって思うのは、何かを使い捨てにすることだ。俺は彼女たちを使い捨てにしたくない。事務所の使い捨て戦略に加担したくない。でも、CDやDVDは買うよ。だって好きだから吉澤さんが。見たり聴いたりしたら、かっけーとか思うよ。矛盾。せつないなぁ。
音楽ガッタスの使い捨て戦略に加担したくない、と書いた。
でも、そもそも俺は音楽ガッタスヲタではなくて、吉澤ひとみヲタなんだ。
だから、音楽ガッタスの心配はしなくていいんだ。吉澤の心配だけしていれば。
もっと言えば、歌と吉澤の距離の心配だけしていればいいんだ、音楽ガッタスがどうなろうと。その一点を不透明なゴミの向こうに見つめる。見えない。でも見る。諦めない。つまり祈る。
そういう視点を俺はきょう、森口から学んだ。