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あけましておめでとうございます。あるいは寒中お見舞い申し上げます。
なかなか更新できなかったのは、年内に仕上げると豪語していた書きかけの娘。小説が更新できる状態にならなくて、そのお詫びを書かなくちゃと思いながら年末年始ハワイとか行っちゃって、弾丸トラベラーの足跡を辿りたかったが親と一緒だったので思うように動けず諦めてホテル近くをぶらぶらしていたらANGRYさんのインタビュー中のどうにも唐突だなと思っていた発言の謎がとけるような発見をしてテンションあがってさぁ更新すっぞと帰国したら仕事がいきなりフツーにゲロが出るほど忙しくて金曜日ハズせない酒の席のあとホントにタクシーの中で吐いてしまって、買ったばかりのジャケットで受け止めて大事にいたらなかったもののさすがにそんなのは生まれて初めてで落ち込んだから中野に行こう、チケットないけど当日券出るだろとサンダル履きで出かけたらまさかのsold outでそのまま東西線に乗って日本橋高島屋の哲学的な名前のパン屋でフィグとか入った激うまパンを買って友達の家で夕食をご馳走になって帰宅したら日付は12日になっていたからです。
ふざけた書き方になってしまいましたが、書くと言ったものが書けなかったこと、すみません。
書く気はあります。
自分がビビリだなぁと思うのはこういう時で、つまり私はビビっているのである、エルダ卒業に。
それを特別なことじゃないと思っていると思っていて、だから横アリは一応行くけど中野サンプラザは
行かなくてもいいやぐらいの気持ちでいた。
でも実際に始まってしまうと、それは「あと何回」というカウントダウンであるように思われた。
特別なことだったんだ。東京も大阪も名古屋も全部行かなくちゃ、と思いそうになった。
でもフルコンプしたいというノリで動いてしまうと、エルダチームのハロプロ卒業が、
自分のなかでほんとにおおごとになってしまう。たいしたことないはずなのに。
卒業したって今までと全然変わらないはずなのに。
特別なことと特別でないこと。その間を右往左往している。そういう葛藤のなかにいる。
すべて特別な一日。
それだけのことかもしれないが。
年末年始をハワイで親と過ごした。
07年3月の娘。FCツアー以来のホノルル。
弾丸トラベラーごっこをしたかったが、親と一緒なもんでぜんぜん身動きとれなくて。あうー。
あの、ガウンみたいのを吉澤が買ったアクセサリーショップだけ行けた。行けたっていうか通り道にあったのでお土産買うような顔して入った。壁に芸能人の写真がたくさん貼ってあって、さりげなく吉澤中澤の写真探してガン見したが、なかったのでさっさと出て、となりの小倉智昭のラーメン屋「なかむら」でオックステールラーメンを食した。
そんな吉ヲタ的になんの収穫もない旅の最終日。
ホテルの裏側に、キングスビレッジっていうショッピングモールがあって、
何かに呼ばれるように近づいていくと、、、、
ん?あれは・・・?
ロック・アイランド・カフェ・・・・・そして、、、、
エルビス!
エルビスじゃねーか!
逆サイドからもエルビス!
ピコーーーーン!
数日下のエントリを見てください。
アングリーさんが、あの英語インタビューの言葉の連想で「ROCK'N ROLL」に「エルビスのヘアスタイル」と答えたのは、FCツアー滞在中にこれを見たからじゃないだろうか。帰国してすぐだしHAの初ステージ&取材。
( ^▽^)<コーヒー飲みた・・・あれちょっと何?
( スタッフ)<え、知らないの石川?
( ^▽^)<知らないっていうか、、誰ですか?ゆうめいな人なんですか?
( スタッフ)<エルビスだよエルビス!
( ^▽^)<えるびす?
( スタッフ)<エ・ル・ビ・ス・プ・レ・ス・リ・ー!
( ^▽^)<うわ、もみあげ、この髪型すごくないですか?
( スタッフ)<ロックンロールの神様だよ!
( ^▽^)<ロックンロールのっ!?
( スタッフ)<神様だよっ!
なんて会話があったと妄想。
だって唐突すぎるじゃん、いきなりエルビスって。
ホノルルのでっかい通り、デューク像とかからほんの数十メートルのとこ。
近くにシェラトン系のホテルもいくつか。シェラトン系ってFCツアーでよく使ってなかったっけ。
アングリーさんがこのへんウロウロしててもおかしくないかも。そんな大発見でしめくくった旅だった。(大妄想とも言う)
そして、元旦の朝、島を包んだ虹。
( ^▽^)<ハッピー!
「『普通』に憧れてた」という後藤の言葉が「『普通』はあきらめた」に聴こえた。
「後藤真希 OFFICIAL WEBSITE」の「ドキュメントムービー」インタビューのハナシ。
だからって開き直ってドンと構えているかっていうとそうでもなくて、
落ち着いて応対している風な打ち合わせの場でも、不安が見え隠れしている。
「信用してます」じゃなくて「信用したいんですよね、人を」。
後藤の心細さとポジティブネスが表れたひとことだと思った。
「曲のテーマは『リアル』と『アンリアル』」。
SWEETとBLACKという相反するニュアンスの言葉をつないだプロジェクト名もそうだし、強さと弱さ、特別と普通、自立と依存、希望と不安、誰でも持ってる二面性、いや、20代女のコ特有の二面性みたいなものに作り手は着目しているのだろう。PVでも二面性は強調されている。ナチュラルメイクの後藤とそうでない後藤、歌い方、夢と現実。夢は悪夢か幻想か想像力か。紙に書かれたコンセプトに血液を流れさせることが後藤真希に期待されている。
マキゴトーのリアルもアンリアルも所詮は作られたものだけど、そーゆー期待のされ方は悪くないなと思ったよ。
「わたしにとっての自然ってなんだろうなぁっていう・・・常になんかこう、ニヤけてるというか・・・笑ってるとは違うか、ニヤけてる感じ」
ここすげーいいと思った。ニヤけてる感じw
戦略としての「リアル」と「アンリアル」をニヤけながらつないで、切り抜けて、離陸して欲しい。
二面性、相反する概念、ということを考えていたら、もうひとりの人が思い浮かんだ。
加護さん。
「子供でもないし、大人でもないなと自分で思ってる。すごく今、アンバランスなんですよ。」
これは12月8日の毎日新聞のサイトに載ってたインタビューのコピペだ。こういうことを加護さんは
何回か言ってる。加護さんのなかでは区切りとして「子供と大人」というのが大きいらしい。
似た区切りとして「未成年と成年」というのがある。
「未成年と成年」「子供と大人」はぜんぜん違うことだ。加護さんはそこを混同してるような気がする。
wiki丸写しでいくけど、未成年とは何か?というと成年に達していない者。
成年とは何か?というと単独で法律行為を行えるようになる年齢。
つまり、未成年か成年かは法律が決めること。法律による年齢の区切りにすぎない。日本では20歳だけど国によってその年齢は異なる。もちろん喫煙OKの年齢も。
じゃあ、子供とは何か?というとこれまたwikiによれば
「何歳までが「子供」とするかについては、子供観での慣習あるいは法制などで異なる」とのこと。
子供観での慣習、というと、つまり、いろんな見方があるってことで、単純に年齢で区切れないってことだ。
たとえばアリエスの『子供の誕生』によれば、中世ヨーロッパには現在のような「子供」という概念はなく、7歳ぐらいで一人前の人間、つまり「大人」として扱われたとある。労働し、飲酒も恋愛も自由で、年齢の若い者は、小さな大人、不完全な大人、ととらえられていただけだと。現在のような「大人」と別の「子供」という概念が生まれたのは近代になってから。産業が変化し、仕事と家族の形と意識が変化し、「子供」を「大人」と分離して「教育する」というシステムが生まれてからだと。つい最近、ここ3、4百年のことなんだよね。
そういう意味で。
中世ヨーロッパ的な意味で。
加護さんはずっと大人だったんだと思う。
問題は、加護さんが「かつて自分は子供だった」と思っていることだ。
加護さんの勘違いのいちばんの根っこはここだと思う。
加護さんは未成年だったけど、子供ではなかった。
あなたはずーっと大人だったんだよ、と言ってあげたい。
今も昔も、ただ、不完全な大人。
そしてこころの奥底、潜在意識では加護さんもそれはわかっているんじゃないかな。
「子供でもないし、大人でもないなと自分で思ってる。すごく今、アンバランスなんですよ。」
は、こう言い替えられる。
「ずっと大人だったってこと、認めたくないんですよ」
顕在意識では、加護さんは「自分は子供だった」と思っているから、子供から大人への変化を見せなくちゃと思っている。「未成年だったのに喫煙した」という法律違反への反省と更正っていう変化と混ざっちゃってヘンにドライブかかってるように見える。
反省と更正は必要だけど、それと仕事は微妙に別で。
「最初からずっと大人だった」と思えたら、ぜんぜん違ってくるんだろうになぁ、仕事の選び方、ブログの文章、ファンへのスタンス。
加護さんは、子供になりたかった大人。子供になれなかった大人。
今もどこかで「子供」「幼さ」に憧れてる。
そこが切ない。
ハロコン初日が来てしまった。なんか緊張してる、俺が歌うわけでもないのにw
しかもきょうは仕事で行けない。雨の音、クルマの音を聞きながら「ある光」。
今さらだが大阪エルダコンの感想を書こうと思ったがtomiko_yさん
とhar_iさんの書かれたものを読んだら気が済んでしまった。そう、そう、そう。
エルダメンのハロプロ卒業っていうよりも、モーニング娘。のハロプロ卒業っていう気がした。
もう高橋と新垣呼んできちゃえよ、と思った。
間違いさがしのようなメンバーの組み合わせ。
この曲の時、ホントはこの人はいなかったよな、いや、いたっけ?とか考えて
時間の感覚が一瞬あいまいになる。
パラレルワールド。何事もなかったかのような。
ちょっと現実じゃないみたいだった。ヘンな夢見ちゃったなっていう。
26世紀の人がよく調べないでメンバーを並べた3D映像。
貴重な剥製を特別な場所に保管することが決まって、その前にみんなに見せておく儀式。
もっと早くこうすべきだったのかもしれない。
中澤は今にも泣きそうで、飯田はどこか硬くて、なっちはやわらかく飄々として笑顔で真ん中にいた。
冒頭の白い衣装、吉澤の「I WISH」だけでもう。呼吸が止まる。
白い服を着てあの曲を歌い始められるのは、石川と吉澤だけになってしまった、と思うと同時に、
そんなことどうでもよくて、ただただ吸い込まれるように見とれる。
続いていく孤独と今ここにあるもの。
ヲタになったのが2003年だから「愛あらばIT'S ALL RIGHT」は特別な曲だ。
自分にとってモーニング娘。を象徴する曲のひとつ。
まんなかに吉澤がいた。当時、端っこだった吉澤が。
あのちょんまげみたいな髪型もなつかしい。
写真なんかスキャンしちゃったぜ。クリックすると大きくなるのかもしれません。
時代はそれぞれいっぱいがんばってきたよね
帰りの新幹線で。
結果オーライってあんましいい言葉じゃないけど。
苦笑と微笑を2:8で混ぜた感じで。
愛あらば結果オーライ♪と小さく歌ってみた。
それにしても、まいちんのあの映像すごかったなぁ。