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後藤のキーワードが「普通」で加護のキーワードが「子供」なら、
吉澤のそれは何だろう?吉澤のキーワードは「闘い」だ。
吉澤は、闘いたい人だ。そして、闘わないことを選べる人だ。選びがちな人だ。
「闘う人」と書かずに「闘いたい人」と書いたのはそういうことだ。
闘いたい。闘えない。闘わない。闘いたくない。
吉澤は、闘うことと闘ってきた。
バレーボール、オーディション。
ハロモニ。、モーム素部屋、「闘」Tシャツ。
「毎日が闘いだったね」卒業する石川への手紙。
ガッタス。
ガリベン。
あの日やあの時、泣かずにステージに立つ闘い。
低迷期を抜け出るきっかけがガッタスだったのはそれが「スポーツ」だったからだが、
もっと言えばそれは「闘い」だったからだ。闘いたいのに闘わない自分と闘っていた時。
だからと言って吉澤は好戦的な人ではない。むしろ逆。
卒業のとき、吉澤は「白」が好きだと言った。
何色にでも染まるから白。これは他人の気持ちを受け入れようとする心だ。
周囲に気を使う吉澤。できれば闘いたくない吉澤。闘う者には不向きな優しいこころ。
白と黒。
もともと吉澤の好きな色は「黒」だ。
吉澤が好きな色は白と言ったとき、無意識に「黒と対の色だから」と思ったんじゃないか。
吉澤の好きな色は白でもなく黒でもなく、白と黒、なのでは。吉澤の好きな世界は。
白と黒は勝負の記号でもある。
勝ちと負け。
闘いたい気持ちと闘いたくない気持ち。
奪いたい気持ちと譲りたい気持ち。
両方を受け入れたい。
黄身と白身セットでおいしいゆでたまごのように。
この支配からの卒業と歌うあの歌は、闘いからの卒業、という言葉で終わる。
吉澤はどうかな。
闘いとの闘いに卒業はあるのかな。
くんせいたまごを食べながら書いている。
吉澤ひとみの白と黒。
ずっとここにいたい、外になんか出たくない、一生ここにいる、そう思って観てた。
ヲタって外で見ると気持ち悪いのに中だとなんであんなにいい奴らなの?
中澤は歌い終わって耳からイヤフォン?モニターするやつをパッと外した。
中澤にダイレクトに流れ込むヲタの声、汗、振動、波動、湿気、熱。
濁流のように押し寄せる強いエネルギーも微細な鼓動も全部直接感じたい、というように中澤は大急ぎで耳からそれを外したんだ。そして客席を見渡し、ぎゅっと息を吸い、ありがとうございました、と言った。中澤の感覚とヲタの感覚が一瞬ひとつになる。見る者と見られる者の垣根が溶けた。
同じだ、と思った。みんな、ひとりの、名も無き者。
3人が「モーニングコーヒー」を歌い始めたとき、ここから始まったんだなと、まるでこの星の、いやこの宇宙の最初の人類を見るような崇高な気持ちがした。でも、矛盾だがごくフツーの女性、女のコが歌っている、という気もした。
トクベツとフツー。名も無き者。名も無き星。
吉澤も、名も無き者としてそこにいたように思う。
もし吉澤が、ありえないけど答辞を読む人のひとりだったら、あの涙はなかっただろう。
あの涙はただの涙じゃないのさ。
あの涙は流れ星。
「プッチモニでした!」とか「タンポポでした!」とか彼女たちは言わなかった。
エルダコンで「岡田唯、三好絵梨香、石川梨華、元・美勇伝でした!」って自分たちで言ってて、「元」とかになんだかな感を感じていたので言わなくてよかった。
「プッチモニ」って言われたらやっぱりいない人のこと思うし。
「でした!」とか言われたら終わりみたいで悲しいし。
名乗らないでくれたから、そーゆー小石につまずくことなく、大きな流れに身をゆだねた。
でも「カントリー娘。でした!」は聞きたかったな、まいちんの、大きな、元気な声で。
(つかカントリー娘。ってどうなるの?)
五期に萌えた。いっしょに走っちゃったりしていいなぁ。
さくら組で、パートの少ない吉澤が外周移動でなごんでるって言ったらアレだけど、
手とか振りまくってたのがかわいかった。そして、彼女のパートを歌っていた。
ハロプロアワードっていう形式がどうも好きになれないのは「安易な愛も愛なのよ」と言わんばかりの
つんくの賞のネーミングに腹が立つからだが、もっと正確に言うなら、安易な愛も愛っていうのも一面では真実なので否定しきれなくてイラッとくるのだ。そういう意味で、光井や梅田に賞をあげてたのはよかった。きっとうれしかったと思うもん。
送辞のとき、吉澤は高橋見てて、泣いたんだと思う。
飛び立つ、というよりは、託す、という卒業。空ではなく地上を見ていた名も無き星。
いま、ここにいる不思議について考えていた。
俺という流れ星はどこへ行くのか。
あぁどうせいつか消えるなら、吉澤の頬を流れて消えたい。
ちょっと特攻服に刺繍してきます。
◎青春とは何か、と問われたら、誰かのために夜中に必死で自転車を走らせること、と答えるpです。三軒茶屋でも梅田でも左京区でも吉祥寺でもそれはあって、なんでそんなこと書いてるかと言えば里田さんのこの日のブログだ。
http://blog.oricon.co.jp/satodamai/archive/338/0
ケータイ充電器が壊れて、このまま電池切れたら朝起きられない、という状況下で友達が、
朝、起こしてあげる、と連絡をくれたのだが、そもそも電池切れてたら電話くれても鳴らない、彼女は家に来て私を起こしてくれるつもりなのか、という、なんか下手なレポート的劣化丸写しですがそんな里田さんの就眠前の日記。
それを読んで。
この友達、早起きしなきゃいけない里田さんのためにマジで起こしに行ったらいいなー、とか思った。早朝、まだ暗いうちに自転車で。電車ない時間だから。
そんで、いざ行っても里田は自力でちゃんと起きてて、逆にお茶とか出されて
「パン食べる?ジャムもある・・・あ、なかった」と気を遣わせてせっかく早起きしたのに里田遅刻しそうになって意味なし、みたいな。
意味なしもまたせーしゅん。
この友達はよしざーさんじゃないだろうけど、脳内でよしざーさんに変換して
吉澤の吐く白い息なんか妄想してみたりした。そんな2月だ。
◎吉澤さんにとって「耳」とは何か?と考えざるをえない「コラボネーゼ」だった。
ゴツいヘッドフォン。無数につけられたピアスが星のようだ。その中央に宇宙の誕生を思わせる深遠な耳穴。
目ではなく、吉澤さんは耳で世界とつながっているのではないか。
つながる場所は、拒否する場所でもある。
ヘッドフォンで世界を拒否し、ピアスで世界を引き寄せる。
だがそれは罠なんだ。口づけは尖った金具との格闘になるだろう。
そして口づけを諦めた者が目にするのは、深遠な闇。
吉澤の耳は吉澤の自意識。隠され、輝き、静かに世界と接している。
◎吉澤さんにとって「他人」とは何か?
最近の吉澤さんは他人の期待に応え過ぎているような気がしてならない。
自分の、自分への期待よりも。
コラボネーゼの「まさかの品切れ」のときや「まさかの遅れ」のときも、
相手が、言いにくいその言葉を言う前に、自分で言ってあげている。手を差し伸べている。
誰にでも思い当たると思う、自分が原因で良くない状況になったとき、
肝心な言葉を切り出す前に、相手が先に言ってくれた時の、ちょっとホッとする感じ。
逆に、自分が吉澤の立場だったら、吉澤みたいに手を差し伸べるときもあるし、
わかっててもあえて相手が言うのを待つときもある。言わせるっていうか。言う態度を見るっていうか。
もし藤本ならぜったい自分から言わなくて、相手が言うのを待つと思う。
あのやりとりは吉澤らしかった。吉澤のやさしさ、相手への思いやり。それ自体はぜんぜん、好感度アップなわけだが。
だけど・・・STBでもちょっと思ったんだよね。
ヲタの期待に応えようとしすぎてるって。
それはまた改めて書くっす。
ライダースジャケット、よさげだった。
買いたい。