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ゲネプロと初日、続けて観てきました。
すすすすすげー消耗した。変な汗でた。
これって、芝居じゃなくて訓練なんじゃないかな、ヲタの。
作ってる人はたぶん白虎隊よりまともだし2回見たら耐性ついたとこもある。
いしかーさんはハマり役だろう。義母の役の人はいい役者だ。よしざーさんはきれーだ。スカートだ。髪の色も髪型もいい。
「でも俺には無理。これに耐えきって何度もこの劇見れるヲタってすげー。事務所は俺たちを教育しようとしているのだろうか、あるいは、ふるいにかけようとしてるのだろうか」
と初見で思った。
劇中に「人生はRPG」とか言うセリフがあったが、この劇はサバイバルゲームだ、ヲタの。
そして俺は早々に脱落した。なぜなら(以下ネタばれ)
吉ヲタ界の考えすぎ王子ことpです。
セックスって単語、いしかーさんのセリフにはあるけど吉澤さんのセリフにないのはなぜだろう?
最初の脚本にはあったけど吉澤さんが「どうしてもヤダ、それだけは言いたくない」と言って別の言い方に変更になったのではないか。
それでこそ吉澤さん、きっとそうに違いない、とマジヲタらしく考えています。
原作は読んでたから、どーゆー話なのかは知ってた。
てか、原作を読んで「げっ、これあたしがやるのかよ」って思ってる吉澤さんを想像して萌え、じゃなくて戸惑ったし、あんだけヲタに対して恋愛トーク封印してる吉澤さんならば、「よっすぃもこれ読んだんだ」ってヲタに思われたり、さらに具体的にあれこれのシーンを自分の姿に置き換えてヲタに想像されるかもしれないってことに対してわりとゲンナリするんじゃないか、と妄想的に心配してた。
極端な話、自分がセックスってことを知ってるってことすら吉澤さんはヲタに知られたくなかったのではないか。
それが吉澤さんの職業人としての矜持だったのではないか。
そういう意味で、前回の日記に「俺の吉澤さんはセックスとかない国に生きてる」と書いた。
吉澤さんが気の毒、というのは、自分の矜持をいったん捨てねばならない事態に対して、だ。このツッコミどころ満載の内輪舞台が、彼女が大切にしてきたものを捨てる場にふさわしいとは思えない。
だから、まぁ、いいじゃん、とも思うんだ照れてても。
でも、さぁ、とも思うんだ。
ゲネプロ見てすげー消耗したのは、吉澤さんの演技がぜんぜんなってなかったからっていうのも理由のひとつ。ただおとなしくしてればいい、と思ってるとしか思えなかった。ぜんぜん魂が入ってなかった。ゲネプロのあとの正式な初回で、早くもセリフの一部をアドリブ的に変えてきたのも好感が持てなかった。「こーゆーふーに日替わりでセリフを変えるのがみんなは好きなんでしょ?」と背中で言われたような気がした。そしてヲタたちはやっぱりそこに反応して盛り上がった。いつもの内輪舞台のあの空気が早くも出来上がってしまった。
俺は葛藤した。自分の守りたいもの壊してまで演じなくてもいいよ、という気持ちと、吉澤、自分守り過ぎだよ、やる以上は逃げずに演じてくれよ、という気持ち。
もう観ねーよ、と思いながら劇場を出た。
もしもう一度観るとしたら、吉澤の演技が深まったかどうか確かめたくなった時だろうと思った。千秋楽までにそういう気持ちになるかなぁ。わからない。
てか俺が勝手に期待しすぎてんのか。
吉澤に。
もともと舞台女優になりたいって思ってるわけじゃないんだし。
いいじゃんアイドルなんだから。
ただ見れれば楽しいって思えたらよかったなぁ。
期待してなかったぶん楽しめた的感想を読むと、おそらく期待させない系の文章を書いたひとりと思われる身としては、うれしいような悲しいような。孤独。「幸福な王子」大盛りでください的な。
決して聞きたくないようなあれこれのセリフを、もう一歩踏み込んで言う吉澤を見たい。
「はまっちゃったんだよね」は円城寺の人生の一大転機のセリフ。倦怠と欲望と希望と諦観を生ぬるい肉体の内側から吐き出す吉澤円城寺を見たい。いや、見たくない。吉澤が自分の殻を壊したくないなら壊さなくてもいい。てか、それはこの舞台じゃなくていいんだきっと。でもそれじゃあ吉澤にとってこの舞台の経験は何になるんだろー。いやそんなことは俺の心配することじゃない。吉澤にとっての意味は吉澤が考えるだろう。それは吉澤の仕事だ。お前はお前の仕事しろ。きれーな吉澤さんがそこにいればいいじゃん、それに見とれればいいじゃんヲタなんだから。実際見とれたわけだろ?はい、見とれました。
この矛盾が俺の東京ヲタセクスアリス。
そんな公演3日目、るヲタ帳。さんのレポを読みました。
吉澤はアフタートークショーで今回の舞台の難しさを尋ねられて、真剣に言葉を探しながら、お嬢様に「なる」ことみたいに答えていたそうだ。
吉澤の感じてる困難さってどんなものだろう?
想像してみた。
ていうか。
そもそも「お嬢様」って何?
金持ちイコールお嬢様?
俺的にはお嬢様っていうのはカネよりも育てられ方。
ベタな言い方すると「良家の子女」はお嬢様だけど「成金の娘」はそーじゃないっつーか。
俺にはこの円城寺さゆりというキャラクターは、成金の娘にしか思えない。
育てられ方テキトーじゃん。
育てられ方、それは態度にあらわれる。
お嬢様的な態度とは何か?
俺が思うに、受動と拒絶とたまにするダッシュ、である。
与えられたものを何も疑わずに微笑んで受け取り、でも嫌なものは嫌と言える確固たる価値観を持ち、たまにする大胆な行動で人生の半径を広げる。お嬢様ってそーゆーふーな行動様式だと思う。
吉澤さんの好きな宮崎アニメのお姫様もだいたいそーじゃん。ナウシカだってクラリスだって。そーゆーふーに考え、行動できるバックボーンとして経済的豊かさが必要ってだけで、カネがあればお嬢様ってことじゃない。円城寺のように誰も拒否せず能動的にいつもいつも狩りをしてダッシュしてる肉食動物はお嬢様的ではないと思う。
さて、そこで。
育てられ方がちゃんとしてる女性、と言えば、誰でも思い浮かぶのが吉澤ひとみさんだ。
吉澤さんはお嬢様だ。証拠はそろってる。
マイペースだけど頑固。そしてここぞってときのダッシュ。
娘。オーディションを受けたり、ガッタスの存続を申し出たり。ここぞすぎる例ですけどもw
でも、そんなぐらいのマジ「ここぞ」ダッシュが、すげーデカい半径を彼女の人生にもたらした。こんな魅力的なお嬢様いねーよ。
セックスって言葉を拒否したのも、冒頭で職業人としての矜持と書いたが、同時に、お嬢様としての価値観を通したってことでもあると思う。(って拒否したってすっかり決めつけてますけどもw)
でも吉澤さんは自分がお嬢様っていう自覚がない。
自覚がないリアルお嬢様が、間違ったお嬢様像に直面している。その困惑。
吉澤の感じてる困難さは言葉づかいとか足の向きとか表面的なことじゃなくてもっと深いものなんだよと教えてあげたい。
リアル無自覚お嬢様がフェイク錯覚お嬢様に「なる」のは、そりゃ難しいよね。
偽物が本物を演じるよりも、本物が偽物を演じる方が難しいだろう。
そんなことを、るヲタ帳。さんのブログを読んで思いました。
リアルお嬢様VSフェイクお嬢様。
「円城寺さゆり」の内側で密かにおこなわれているお嬢様対決も、東京アリスの見どころのひとつかもしれません。
画像はクリックすると大きくなる見込みです。
行ってきました、まつぶし緑の丘公園。
まだ新しいっていうか、造成中の部分もあるようです。
ある意味地平線までずっと公園。
入口の案内図に、植樹した場所とか、応援団のプレートはここ、とかは書いてありません。
一体、どこまで歩けば吉澤さんの「プレート」を見つけられるのだろうと不安が募ります。
ともかく歩き始めます。BGMはもちろん「歩いてる」です。
すると、はるか彼方に何か白いものが・・・・・・!
思わず地平線目指して走ります!
走っている雰囲気の写真です。
あやしい、あれは、あやしい。
もう間違いありません、5つだもん!だって!
恥ずかしいのでサイドからこっそり近づきます。
「だ〜〜れだ?」の気分です。
わーい、やっと辿り着いたよ、よっすぃ〜〜〜〜〜〜〜っ
じゃねーじゃん!
どこだ、どこなんだ吉澤さんっ
すると一本の樹がそよ風に揺れたのです。
ゆっくりと近づきます。
吉澤さんの樹は後列中央、5本の樹木のまんなかでした。
葉っぱの少ない樹もあるなかで、吉澤さんのは葉っぱも枝ぶりもいい感じです。
ここここんにちは。
そんな風に俺を見上げないでくれ!
ああよかった、吉は下の棒がちゃんと長い、さすが埼玉。
しばらく見とれていたら夕暮れが。
風と一緒に空を見上げた。
これからたくさんの樹木がここに植えられる。
キミのうしろに里山や森ができる頃に、また来るよ。
いつまでもこうしていたいけど、
もう帰らなくちゃ。
だって・・・・・バスの本数が少ないからw
ありがとう、まつぶし緑の丘公園。
ちなみに他の方はこんな感じ。
親と散歩中のちっさい子がプレートをじーっと眺めていました。
このプレートの絶妙な高さは子ども目線も考慮されてるんだなと思いました。
公園内に小川が流れていて、カエルがぐわぐわ鳴いていました。
こういう公官庁系の仕事って吉澤さんに意外に合ってると思う。
もっと増えるといいなー。何かを応援する吉澤さんを応援したい。
そんな気持ちで行ってみました。