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「恋はしたことありますね」
「どんな人が好きなの?」
「あたしはぁ、うすっぺらいのはダメで」
「痩せたっていうこと?」
「別にデブでもいいです」
来週の「美女放談」予告編での吉澤と兵藤ゆきの会話。
このやりとりのなかで吉澤は2回、完全に目を閉じるような長いまばたきをする。
「恋は」と言いながら、そして「デブでもいい」と言いながら、たっぷりひと呼吸ぶん、ゆっくり、まぶたはくっつく。それに対して「あたしはぁ、うすっぺらいのはダメで」のときは他の言葉よりも長い言葉なのにそのようなまばたきはない。
なんかあると思いませんか?恋とデブに。
吉澤さん自身が気づいてないかもしれない、微妙な気持ちが彼女のなかにある。
吉澤は果たして本当に、恋の話をするのか?
てか、恋の話をしたいのか?今まではそれ系のこと話したくない人だったのに、なぜ?
その変化の背景には何があるのか?そして俺の心配とは?
みたいなことを書きます。
結論から言うと、吉澤は自分では、つまり顕在意識では「いっちょ恋の話でもしてみっか」と思ってるかもしれないけど、ほんとのところ、つまり潜在意識ではぜんぜんそー思ってないと思う。恋の話でもしてみっかと思ってしまったのは勘違いだと思う。後から自分でアチャーな気持ちにならなければいいが、とキモく心配している。そしてその勘違いの背景には「東京アリス」があると思う。これが俺の妄想的洞察的考察的戯言。
俺が言いたいのは吉澤は恋愛したことないとか、恋愛しないでくれとか、恋愛しててもヲタにわかる場所で話さないでくれ、っていうことじゃないよ。吉澤がほんとーに自分的に準備ができてるんなら、いくらでも話せばいいと思ってるよ。
俺が心配してるのは、準備できてないのに勘違いして話そうとしてんじゃねーかってこと。吉澤の顕在意識と潜在意識に差がありすぎんじゃねーかってこと。
中二病的勘違い状態なんじゃねーかってこと。
「恋愛」じゃなくて「恋」って言葉を選んでるし。
恋なら一方通行の気持ちとか話して切り抜ける余地がある。
吉澤はその余地を残しておきたかったんじゃないかと。瞬間的習慣的無意識的本能的に。
そうだろ吉澤?恋愛の話なんてホントはしたくなかったんだろ?
目を覚ませ吉澤!自分の声に耳を澄ませろ!
そんな気持ち悪いことを今から書くぜ。(もう書いてる)
話をまばたきに戻します。
まず、一般論で。
一対一でしゃべってる状況で、人はどーゆー時に、長いまばたきをしてしまうのだろうか?
長いまばたき 心理学 でググったら一番最初に出てくるページに、記述がある。「後ろめたさ」「動揺」って言葉で説明されてる。
なるほど。吉澤さんは後ろめたくて動揺していたのだ。
恋の話をすることに。
デブでもいい、と発言したことに。
デブっていうか本当はソフトマッチョなんだけどちょと待てこのままだと吉澤ひとみはデブ大好きデブ専ってことになるのか(動揺)あたし的にはデブとか痩せとかじゃなくてそこそこ筋肉があるってことがその厚みが大事なんだけどムキムキしすぎもダメってちゃんと説明すると長い割にオチとかないしヲタの人たちデブOKって方がきっと喜ぶからまぁいっか訂正しなくても。
そんなふうに誤解されることへの動揺と説明不足への後ろめたさが彼女に長いまばたきをさせたのだ。
恋、と言ったときのまばたきは?
やっぱほんとは話したくなかったんだと思うよ単純に。潜在意識では。
その動揺と後ろめたさ。
動揺するのも、後ろめたさを感じるのも、善人の証拠。
吉澤さんはまじめだなぁ。まばたきのまはまじめのま。
じゃあ、なぜ言いたくないこと言おうと思ったんだろう?恋とか。
その変化の背景には上に書いたように「東京アリス」があると思う。。
あんだけセックスとか言われたら、公演中に慣れる。台本もらってすぐにこっそり直訴してその単語を変えてもらったこと(※ここ既に妄想です)とかが、自分でちょっと恥ずかしくなってきて、よっちゃんセックスなんてへーきになったもん、つか、前からへーきだったもんと中二的にアピールしたくなって千秋楽のあのイラストだ。義母役の人のブログに載せられてた、あの写真。
辻加護における「うんこ」連呼と同じだと思う、吉澤が「SEX」って書いたのは。
あれは、千秋楽ってことと、義母役の人の似顔絵にSEXって文字を添えてるってところが大事だ。おそらく初日にはありえなかったことだと思う。(ゲネプロのバキッてしぐさの切れの悪さは忘れらない)
そして、吉澤はステージの外、ヲタの目を想定しない状況であのイラストを描いた。
しかも、義母というワンクッション置いてその言葉に触れている。
自分事としてストレートにその言葉を外に出したわけじゃない。
へーきだもんと言いたいってことは、へーきじゃないってこと。
顕在意識と潜在意識。
そんな気持ちが入り乱れた状態で「美女放談」の収録になったのでは。
セックスとかいう言葉もへーきになったし恋愛の話だってへーきだもん的モードで。
つまり、勘違い。
よしざーさん、あんた勘違いしてるよー。
あんたまだストレートにそれをしゃべれる準備できてないよー。
ほんとの意味で準備できてからにしようよ、恋愛トークは。
俺の言いたかったのはそれだけ。
最後に兵藤さんに感謝を表しておきます。
「恋はしたことありますね」って吉澤の発言に対して
「どんな人とつきあってたの?」じゃなくて「どんな人が好きなの?」と返してくれたことに対して。
この差、すごい大きいと思う。思うでしょ、思うよね?
もしこれが芸人かなんかだったら「どんな相手?おっさん?」とか突っ込んできて、「いや、おっさんじゃないですよー」みたいな返事引き出して「そしたらどんな男?」とか話がどんどん具体的になっていっただろう。でも、きっと兵藤さんは、吉澤にそーゆーことを話させていいのかどうか、一瞬、考えて、やめたんだと思う。「どんな人が好きなの?」っていう質問の直前に一瞬目線をそらしてる。そのときに考えて判断したと思う。ズケズケ踏み込むのはやめようって。そこは同じ事務所の人でよかった。
吉澤のキャラのこと、そのテの話を吉澤にさせるメリットデメリット、そしてもしかしたら吉澤が潜在意識では話したいと思ってないことなんかを嗅ぎ取ってくれたのかもしれない。それで、具体的な内容とは逆の方向へ話を持っていくような質問をしてくれたんじゃないかとか思っている。
ありがとう兵藤さん。
(ってオンエア見たらフツーにツッコんでたりしてw)
仕事を抜け出して赤坂サカス、ガッタスの練習を見てきた。
最初、上下オレンジのジャージを全員が来ていた。
吉澤さんと石川さんだけ、ジャージの中に着てる黒Tをシャツインしてなかった。
シャツインせずに上のジャージを着てたから、黒シャツの裾が幅10センチぐらい見えてた。着崩してるってほどじゃないけど、ほかのコたちは是ちゃん含めてシャツインで全身オレンジ一色。ふたりの黒シャツは微妙に目立ってて、なんというか、先輩っぽい、と思った。
よくわかんないけど、運動部ってそういうのあるんじゃないの?
そーゆー着方していいのは三年だけみたいな暗黙のルール。一年がやったら生意気って言われるの。あー、俺このフットサル部の一年で、他校との交流試合で先発して逆転ゴールとか決めて天狗になって次の練習で、いいんじゃね?俺もうレギュラー決定だしとか思って黒シャツ裾出ししたら吉澤先輩に、ピッて睨まれて「裾」とか言われて、え?って固まったら「百年早い」とか低い声でシメられてぇええええええええええっ
とかいう粘性を帯びた心の叫びを空に放つ午後6時45分。
薄暮から夜へ、うすのろから獣へ、空気が徐々に艶めきを増す。
吉澤の髪は、うわずみだけサッとつかんで結んだ的なポニーテールっぽいの。
背中。腰。ほっせーーーーーっ。
風が吉澤の髪をなびかせる。一本一本まで見えるキョリ。ほっそい髪が照明に透けて揺れる。
そして左耳のピアス。
光。
キラッキラッでさぁ。
吉澤が放つ光を受け取る至福。
気まぐれなのに一直線なんだ。鋭くて、でも、小さな光なんだ、白くて。
俺死ぬときはこの光を集めたものに包まれたい。吉澤のピアスの光。
自由に動くのが好きだから、最前は実はあんまりうらやましくない。
あちこち移動しながら観る。
そうするとさ、あるんだよね、俺と吉澤の間に、スッと、道ができる瞬間が。
広いライブ会場でもそーゆーことってない?俺はあるよ。
別に目が合うとか爆レスとかじゃなくて。あ、いま、道が、と思う瞬間。
間にどんなに人がいても。その瞬間、なんか真空状態になる。その静謐さを俺は信じてる。
音と光。
ボールを蹴る音。音圧。
スポーツも音楽もPLAYだ。
是ちゃんは、いい音させてる。
となりのライブハウスではスチャダラパー。
うっすらと共演みたいでうれしい。
ガッタス野外フェスの音と光を俺は味わう。あぁビール飲みたい。
ゴールネットに貼ったガッタスのフラッグの右上の紐がほどけて、吉澤が駆け寄って結びなおした。
その背中に見とれた。指先を想像した。
爆音でかかり続けてるよヒット曲。
「青春のカスタード」のイントロのとき、ちょっと踊ってた。
ひじを曲げて手首を肩のとこにあげて手のひらを水を振り払うみたいに動かす振りを、となりにいた是ちゃんとやってた。
「やったろうぜ」がかかってるときもちょっとステップ踏むように身体動かしてた。
それもこれも先輩っぽいのである。
裾出しもピアスも爆音に反応してちょっと踊ってみせるのも先輩特権。
あぁ、なんてカッコいいんだ。
ヲタの視線をわかっているのに素知らぬ顔をしてるとことか。
そこがエッグのコとの違いだね。
エッグのコたちは視界にヲタが入るから、なんとなく微笑もうとして微妙なニヤニヤ顔になりがち。
いしかーさんもよしざーさんも、ヲタがどんなに近くにいても涼しい顔ができるあたりにキャリアを感じる。そう、涼しい顔。夏の美人。
遅れて紺野がやってきたところで、仕事に戻りました。
あ、そうそう、途中でいしかーさんがジャージの上を脱いでビブスつけたんだけど、黒Tの首はVネックだった。一方よしざーさんは、フツーのTシャツぽい丸いタイプ。それぞれに、らしいような気がしました。
ナイロン、大人になったな。
麻琴の舞台、北区つかこうへい劇団協力公演。
良質な作品だった。麻琴いい仕事にめぐりあえてよかったね。
高校のバスケ部の話、それから10年後の話。
青春群像もので、女子高生もので、桜の花びらが舞ってしまったら、もう・・・降参です。
開演前に脚本・演出の人が出てきて軽く注意や意気込みなんかを語った。
その人が話し始めた瞬間、あ、これはいい舞台にちがいないとわかった。
語り方に愛があった。自分の仕事への。
愛があれば多少の突っ込みどころ(音楽と終わり方)は気にならないものだ。
愛と言えば、高橋とみっつぃ〜と亀井(たぶん)が来てた。この順番で並んで座ってた。
みっつぃ〜だけキャップなし。あとのふたりは深くかぶってた。
高橋はすぐわかったけど、もうひとりは亀井かもしかしたら消去法でリンリンかも。
でもリンリンはキャップ深くかぶらなそうだからやっぱ亀井かな。
なんだかんだ言って、オーラみたいなもの出てた、三人とも。
みっつぃ〜色白いねー。
「東京アリス」で、麻琴けっこーいいじゃんと思って、確かめたくて出かけた。
そしたらやっぱり、演技もダンスもすごいよかった。俺麻琴のダンス好きだわ。
もう麻琴はミュージカル方向でいけばいいと思うよマジで。
芝居の感想になってないけど、思ったこといくつか。
バスケの試合の前に、娘。の「しょい!」みたいにチームのメンバー全員が片手を伸ばして重ねるシーンがあるのね数回。麻琴はキャプテンだから当然真ん中で。そんで「しょい!」的な声を出して、わーっと試合に臨む。なんかそれ見たら、麻琴がリーダーの娘。っていうのを見てみたかったなとかそんな不思議な気持ちがした。そういう娘。も、この幾重にも重なるパラレルワールドのひとつとしてありえたのかなとか。
めまいのような、そんな感覚。
それから、「リボンの騎士」を思い出した。
「リボンの騎士」の、歌のない役で卒業した麻琴が、いま、こうして、主役で、両脇に他の役者を並べて、真ん中でダンスをすげーカッコよく踊ってる。それを高橋が見てる。後ろから2列目中央で。高橋の表情は見えなかったけど、きっと、高橋だって、いろんな思いが去来したはずだと思う。
話自体も油断すると涙が出そう系だし、いろいろ思ってたらほんと泣きそうになった。
高校生の日本代表候補の有力選手の麻琴が、ケガをして挫折、仲間とのあつれき、協力、憧れられるスター選手としての苦悩、妹との葛藤、自分との葛藤。
「何年も、いっしょにつらい練習耐えてきたんじゃない」
そんなセリフが何度かあって、作り手の意図とはまったく関係なくて申し訳ないけど、
どーしてもモーニング娘。のこと思ってしまう自分がいた。
そしてもしこの芝居を吉澤さんが見たら、、、と思うと。
たぶん考えすぎだし吉澤さんの感受性はもっと深くて大きくて本質をちゃんと見る。だろう。
生きるってこと。仲間ってこと。理解しあうってこと。相手を大切に思うってこと。
桜の花びらのシーンで終わってもよかったんじゃないかな。そこだけ思った。
ともかく、とてもストレートな、良質な作品でした。
これからも、いろんな役者で、いろんな場所で、上演されつづける芝居だと思う。