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「多くの人はファンタジーと現実世界を分けて考えてる。でも、僕は違うんだ。現実の問題に直面した時、空想の世界が解決してくれることってあるよね?この映画ではファンタジーが僕らの身近な生活の中にあるということを伝えたかったんだ」
By ティム・バートンin デジスタティーンズ
ああ、吉澤。
ティムがこれしゃべってたとき、キミはどんな顔してたんだろ?
これさ、つまりティムが言ってたことだけどさ、自分のことだって気づいてた?
「ファンタジー」「空想の世界」を「吉澤を想うこと」に置き換えてみれば一目瞭然さ。
「多くの人は吉澤を想うことと現実世界を分けて考えてる。でも、僕は違うんだ。現実の問題に直面した時、吉澤を想うことが解決してくれることってあるよね?この映画では吉澤を想うことが僕らの身近な生活の中にあるということを伝えたかったんだ」
あるいは、こういう言い換えも。
「多くの人は娘。小説と現実世界を分けて考えてる。でも、僕は違うんだ。現実の問題に直面した時、娘。小説が解決してくれることってあるよね?この映画では娘。小説が僕らの身近な生活の中にあるということを伝えたかったんだ」
別の言い方で言うと、
「多くの人はヲタ活動と現実世界を分けて考えてる。でも、僕は違うんだ。現実の問題に直面した時、ヲタ活動が解決してくれることってあるよね?この映画ではヲタ活動が僕らの身近な生活の中にあるということを伝えたかったんだ」
キミを想うことのすべてがファンタジー。
吉澤、ティム・バートンの映画好きかなぁ。
ティム・バートンはヲタで繊細でバカでジェントルで一生懸命な男をカッコ切なく描かせたら世界一なんだよ。とりあえず「シザーハンズ」と「エド・ウッド」どっちから観る?と両手にDVD持って上から目線で吉澤に尋ねたい。ソファに並んで座っちゃってさー。ワインとか出しちゃってさー。
夢と現実のあわいにこんなにも広大な冒険の地平が広がってるって見せてくれるから俺はティム・バートンの映画が好き。彼の描く、偏った情熱に満ちた男の弱さと強さにはいつも泣く。でも、吉澤は、そーゆーことじゃなくて、シンプルに、物語として「おもしろい」とか「バカみたい」とか思うような気がする。そーゆーふーに素直に楽しめる映画なのも確かだから、全然いーの。そしてそーゆーふーに見方が違うことに俺はなぜか安心するんだ。俺がどんなに吉澤を好きか、その面積の広大さを見透かされずに済んだような気持ちでホッとするんだと思う。や、もし一緒にDVD観たらの話、ファンタジー。
話は飛ぶが、こーゆー番組を見ていて思うのは、人間には2種類いるということだ。
吉澤ひとみに質問する側の人間と、吉澤ひとみに質問される側の人間。
ヲタは基本、前者だ。話す機会があったとしても。
隣に座ってるからうらやましいんじゃない。
吉澤に質問されてるからうらやましいんだぜ、ティム!
火曜ラジオ水曜テレビ。仕事が手に付かないので個人的に火水の週休二日制になりたくてたまりません。
しかしあの番組の投稿作品は、どれもこれもおもしろいなぁ。
吉澤出なくても観るかも。
という番組に吉澤が出てることがものすごくうれしいです。
世界地図っていろんな種類があるの知ってる?
地図 図法 種類 でググると出てくる。
世界地図は球形のものを平面に写しとるわけで、その写し方に実はいろいろな手法がある。3次元を2次元に変換するから、位置関係も手法によって変わるし、面積だって位置によって実際よりも大きくなったり小さくなったりする。たとえば風水なんかで使われるのは方位だけは正確だけど、大陸がうにょーんと伸びてて面積はまったく正確でない世界地図だ。
何が言いたいのかって?
正しい世界地図なんてないのだ。
ただ、目的に合った地図があるだけ。
きょう俺は渋谷で吉澤にしか描けないハロプロ世界地図を見た。
そして、その地図には、俺らヲタも描かれてた。しっかり。いい感じで。
や、もちろん吉澤の描いた地図は吉澤にしか見えないんだけどさ、そういう幸福感あったもん。一体感あったもん。吉澤の見てる世界に俺らはちゃんと描かれてるっていう実感が。
吉澤はなんでTシャツに風船を描いたのか?
吉澤は空から「俯瞰」したかったんじゃないか。
25歳の自分と世界を。
俯瞰しようとする強い意思。
それを無意識に描いたんじゃないか。
今までTシャツに彼女が描いてきた抽象画は、ミクロっていうか内向きの視点の発露。
今回のはマクロというか外向き。吉澤、大人になったよなぁ、と思う。
(俺、吉澤が会社に新入社員で入ってきてもだいじょぶって思うもん。そんな芸能人あんましいないよ?)
さて、自分と世界を俯瞰して、吉澤は何を見たんだろう?
吉澤は風船で空に浮かんで、見渡して、そして、「人」を見たんだと思う。
吉澤の地図は「人」でできてる。
人とのつながり、「縁」を感じるセットリストだった。
ミスムン、これは原点。地図の中心として点を穿つならこれだ。代表曲として逃げない感じに「おお」と思った。
赤い日記帳ではどうしても後藤を思った。後藤との対比で、いまここにこうしてる吉澤を思った。
ハッピーサマーウェディングでは加護を思った。
LOVEセンチュリーでは再び後藤を思った。
ビーナスムースでは矢口を思った。
晴れ雨のちスキでは矢口と安倍さんを思った。
大阪恋の歌では石川を。
DINではまたしても後藤と、そして紺野を思って、歩いてるでは小春を思い、リーダーとしての吉澤を思い、娘。を思い、オリコン1位を報告した中澤のことを思った。プチモビクスではやっぱりまた後藤を思って、メドレーのプッチモニでもやっぱり。
なんでここにいない人ばかり思ってしまうんだろう、と自分で自分に戸惑いながらも、思ってしまうものは仕方ないと思って聴いていた。ここにいない人を思うのは嫌ではなかった。そういう人たちがいて、いまの吉澤があるのは確かだから。そういう相対的なつながりのなかで吉澤を見つめてることに喜びすら感じていた。こんなに人とのつながりを想起させる(旧)ハロメンはいない。そういう意味で間違いなくオンリーワンだと思った。
つながっていること。いや、つないでいること。
吉澤がいたから描けるハロプロの地図。
そして悲しみトワイライトで吉澤の卒業前のあのテンションを思い、広がった気持ちは、ぐわーっと一気に吉澤になだれこんだ。そのまま、浪漫へ。この頃から吉澤の眼の輝き変わってきたんだよな。紫の衣装。
「自分は運がよかった。人に恵まれた」
吉澤がそう言ったとき「運じゃないよ、努力したからだよ!!!」と叫びたかった。
吉澤は運がいい人だと俺は決して思わない。
でも「自分は運がよかったです(キリッ」と言う人のほうが「自分は努力しました(キリッ」って言う人より圧倒的に素敵だ。努力したのに「運がよかった」と思える・言えるって最高じゃん。
本編ラスト、なんにも言わずにI LOVE YOU。
アンコールで安定感のあるサプライズとして石川が出てきて、いい感じにハッピーバースデー歌って。変に石川とハンアン歌ったりしなかったのもよかった。
その出会いのために。
この曲歌わなくて全然いいけど気を使って歌うのかなぁとかライブ始まる前は否定的に思ってたけど、「ありがとう」っていう言葉がきょうの吉澤にとても合っていて、この曲で締めくくってよかったと思えた。
アイドルは生きる希望。
ほんとに。
強く生きなきゃと思うんだ。と吉澤ひとみ25歳の地図を感じて俺は思った。
最後、吉澤が感極まって涙をこぼした後、「きょうはみんなの勝ち」って言ったけど、ほんとに勝ったのはもちろん吉澤だ。吉澤は自分の見た世界に感動して泣いたんだ。それは吉澤が見ようとしたから見えた世界だから。俺らを見ようとして、そして、見てくれてありがとう。俺もずっと吉澤を見ていたいです。
そんなこと思いながら電車乗って、地元の駅のアーケード歩いてたらストリートミュージシャンがいて、客がひとりしかいなかったけど足を止めたら曲の合間になぜかペットボトルの「ほっとレモン」もらいました。俺もまぁまぁ運がいい。ありがとう世界。